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旅の記録
7月28日
ボランティアに参加!?
海外の旅を始める前から、インドに行ったら絶対に行こうと思っていた場所がありました!
そう、
マザーハウス!
マザーテレサって多分ほとんどの人は名前くらいは知っていますよね?
貧しい人や苦しんでいる人のために生涯を捧げたマザーテレサ。
このマザーハウスでは、外国からも多くの方がボランティア活動に参加しに訪れます!
そして僕もここでボランティア活動をしたいと思って来たわけです。
数日はボランティアに参加するつもりでいたのですが、バングラデシュに行く前も時間が無くて行くことができず、今回も結局インド滞在の最後のこの日まで来ることができませんでした。
そして朝早くに着いて、ボランティアをするつもりが、、、
結局やりませんでした。
理由は自分でも良く分からずにいたのですが
何だかそんな気持ちになれず、ココロの中で“やりたくない!”というのが出てきてしまって。
でもそれも何となくですが、来る前から自分で分かっていたような感じがするんですよね。
行ってみたいけど何かココロが行きたくないと言っているような感覚。
マザーハウスに着いてから、何だか重たくて苦しくて辛いような悲しいような気持ちが出てきました。
ちなみにコチラがお墓です。
写真はお墓の部屋だけ許可されていました。
このように絵もいくつか飾ってありました。
どうして参加しなかったのか。
僕は今回ここに来たにも関わらず、何でボランティアに参加しなかったのかなぁって考えていました。
ただ単に、自分が面倒くさいという思いがあったのか?
自分はいったいここで何を感じていたんだろう?
そしてここの施設に置いてあったマザーテレサの言葉が書かれたパンフレットの日本語訳があったので読んだりして、その中でマザーテレサの考えにめちゃくちゃ共感できる言葉がたくさんあったのですが、何だかモヤモヤする感覚もあって、、、
じっくりと感じてみたのですが
マザーテレサは“祈り”、“愛”、“平和”などについての大切さについてたくさん言葉を残されています。
その中で
宗教への信仰
というところで引っかかるものがありました。
あ、勘違いしてほしくなので先に言っておきますが
僕はキリスト教が嫌いなわけじゃないですし、批判的なことを言いたいわけではありません。
マザーテレサについてどうのこうのではなく、マザーテレサの言葉を読んで僕が勝手に解釈して感じたことを書いて行こうと思います!
マザーテレサの言葉の中からは
神様(イエスキリスト)のため、神様が望んでいるから、神様の渇きを潤すため
そういう言葉が多かったように感じました。
そして
貧しい人や障害のある方や苦しんでいる方からはたくさん学ばせてもらうことがある。
とも。
僕は実際のマザーテレサのことは何もわかっていませんし、もちろんあったこともないので、この残されている言葉からの僕の解釈では見当はずれなものも多いかとは思うのですが、、、
何だか
神様のため、信仰のため、学びのため
というところを強く僕は感じていました。
僕は神様とか信じているし、むしろ好きです。
そして祈ることも大切だと思っていますし、祈りは大切にしています。
貧しい人や障害を持っている方、もちろんそれ以外の方からでも、人に奉仕するということでたくさんの学びが得られると感じています。
だからかな!?!?
って思いました。
自分は何のためにこのボランティアに来ようと思ったのか!?
自分が学ぶため!?
神様を喜ばすため!?
きっとこれは結果なはず。
本来は目的はそこではないはず。
ただただ目の前にいる人を助けたい。
もっとみんなが幸せに生きていけるようにしたい。
平和な世の中にしたい。
これが目的で
みんなに愛をもって接する。
そして祈りを捧げる。
その結果
自分の学ぶことがたくさんあり、神様だって喜ぶんだろうなって。
僕は今まで
自分が学ぶために
という気持ちが先行して動いていることが多かったんだなって思いました。
自分自身がそうだからマザーテレサの言葉でもそこに引っかかったのだと思います。
そしてボランティアに積極的に参加をすることは素晴らしいことだと思います。
でもボランティアに来なくたって
毎日の生活の中でできることってたくさんあるはず。
そう思いました。
むしろ毎日の何気ない生活の中にこそもっと大切なことがあり、その積み重ねこそが平和への近道になるじゃないかな??
今、自分の目の前にいる人
僕と出会いほんの少しでも関わってくれた人
そしてとても身近な存在の家族
その人たちに自分はどう接しているだろうか?
改めて思い返してみました。考えてみました。
それで思ったのは
ボランティアに参加することだけじゃなく
もっともっと日常の中でできることがたーーーーくさんあるんだ。
むしろそっちの方が今の僕には大切な気がしました。
ボランティア、社会貢献
きっと、色々されている方も多いと思います。
一度、日常や何気ない人との接し方などを思い返してみるのも良いかもしれません(^▽^)/
“命”について考える
マザーテレサの言葉の中で目に留まった言葉がありました。
それがコチラ。
母親が胎内にいる自分の子を殺すことが出来るとするならば、世界中に広がっている暴力やテロに対して、いったい私たちは何を驚いているのでしょうか。
マザーテレサは中絶などについては反対の意見を持っていたそうです。
今回、僕はこの言葉から中絶に反対云々とかじゃなくて
僕たちって自分たちの都合で“命”に差をつけているんだなぁ。
って感じました。
生まれる前の子どもの命を絶つことと
暴力やテロで人を傷つけることの違いって何なんだろうか?
もっと言えば
命を奪う奪わないということだけでなくて
言葉で誰かを傷つけること、ネット上で他人に対してひどいことを書き込むこと。
命を絶っていなくても、僕たちって他人を傷つけていることって多くないですか?
ココロの傷ってその人やその人の周りにもすっごく影響を与えると思います。
戦争は反対していても、実は身近な人をたくさん傷つけていることってある。
僕はすっと暴力的で、学校でもたくさん人を泣かせたり、言葉でたくさんココロを傷つけてきました。
家族にだって、特に母親にはひどい言葉をたくさん吐いてきました。
そういう小さな戦争が世界各地でおきている。
きっとそういうことの積み重ねが大きな戦争などにも繋がっていると僕は思う。
他の生き物についても考えてみる
アジア諸国を旅していると、街中でよく見る光景があります。
それが動物の屠殺。
こうしてさばきたてのお肉がよくぶら下げてあります。
少数民族の村では
たまたま儀式に参加する機会があり、その時には豚を目の前で殺して“いけにえ”にしていました。
そしてマザーハウスからの帰りには
道中で普通に鶏を目の前でさばいて販売をしていました。
ちなみにこういう話をすると
こっちの人は命を頂くということをちゃんと知っていて、日本よりも良い!
みたいに思われがちですが、僕はそんな風には思わないかぁ、、、
ただ状況が違うだけで、どこの国でも命の扱い方はひどいように感じます。
たくさんの動物が雑に扱われ、簡単に殺されていくのをたくさん見てきました。
もちろん街中と田舎の村では全然違いますが!
・日本では犬や猫などを殺すことはかわいそうだと言います(殺処分はめちゃくちゃ多いけど)。
・そして魚の解体ショーはするけど、動物の屠殺は見せるのはあまり好まれない。
・ヒンドゥー教では牛は食べない。
・イスラム教では豚は食べない。
そして海外では犬猫だって、他の動物も食べる文化があります。
そして食べる動物に関しての扱いはとてもひどいのが現状です。
自分たちがたくさん食べたいという欲求から、たくさんの命が大切にされずに奪われています。
どうして僕たちってこんなにも命に対して差をつけているんだろうか?
食べるなとかそういう話ではありません。
人間・他の動物・昆虫・植物・微生物など
色んな命の循環の中で僕たちは生かされています。
それぞれの文化で
あれは食べないけど、これは食べる。
それも別に良いと思います。
だけど
命の尊さを忘れていないですかね?
命を頂くことに感謝していますかね??
これから本当に平和を望むのなら、改めてすべての命に対してしっかり向き合うことが大切なのかなと僕は感じます。
家族
友達
お店の店員さん
一度だけの出会いの人
毎日の食事に使っている動物や植物
自分はいつもどう向き合っているだろうか??
僕はそんな何気ない毎日の中から真の平和というものが生まれてくるような気がしています。
自分が相手の立場だったら。
大切だと思っていても、これを本当に理解して実践することは難しい。
僕は旅の中での色んな人との出会いの中でそんなことを感じました。
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